2014年9月27日土曜日

大阪30K

昨夜は母さんを連れて、10年ぶりくらいに大阪フィルハーモニーの定期演奏会に行ってきました。しかも、指揮は
僕の大好きな大植英次さん。帰国中にタイミングよく彼の指揮する大フィルを見られるなんてめちゃめちゃラッキー。たまには脳みそに文化的な刺激を与えてあげるのも大事やと思う。

そんで、今日は日本で初めてのランニングイベント、大阪30Kで走ってきました。目標レースのちょうど一月前やし、30キロというのもシミュレーションとしてはちょうど良い距離。なので、本番でどれくらいのペースで走れるかの目安にするつもりやってんけど、大誤算・・・

朝9時半スタートに会わせて淀川沿いの会場に着いたんやけど、
見事に晴れ渡った青空。暑い!!既に20度超えてる。

ここ数週間は日本で走っているとは言え、そんで元々は大阪育ちとは言え、今の僕にはこの暑さはちょっと厳しい。なんせ3年前のボストンマラソンで+15度という、通常で言えば快適な気温にも関わらず暑くてバテてしまったくらい、カルガリーでスポイルされてしまってる僕やから。

というわけで、レース前のアップで思ったより足は軽かったものの、どこまで目標マラソンペースで走れるかは全く未知数でのスタート。

で、結果はハーフ(21キロ)も保たんかった・・・

初めの5キロは集団の混雑でペースは安定してなかったけど、スプリットは大体目標通り。いつもの練習通りの体感負荷で走れてた。で、次の5キロはまあ想定内のタイムで走ったのは走ったんやけど、既に暑さがじわじわ効いてきて、体感負荷はかなり増してた。この区間は追い風の筈やのに・・・

で、次の5キロは最悪。暑い暑いとボヤキながら走って、しかも途中から向かい風になってからはスピードも出えへんは暑いわで、どんどん気持ちが滅入ってきてた。15キロでちょうど周回コース1周やから、そこでリタイアしよかと本気で考えてた。

後から聞いた話では、この頃には既に気温は30度近くまで上がっていたそうな。

ただまあ、今日はトレーニングとして割り切って、20キロまではキチンと走りきろうと自分に言い聞かせて、次の5キロは気持ちペースを上げて走ってみた。でも給水所では歩いてコップの水を頭からかぶってクーリング。チャレンジでのマラソンを思い出した。

20キロ走った後はもうこれ以上は無理はせんとこうと、しばらく歩いた。本番まで後4週間しか無いのに、ここで力を使い果たして疲労をためても本末転倒やからね。急がば回れ。

で、4キロほどジョグを交えながら歩いてリカバリーした後は、ペースを上げて仕上げ。給水所では歩いて水を浴びて頭を冷やしたけど、それ以外はマラソンペースかそれよりちょっとだけ遅いくらい。最後に少し右足のクアッドがプルプルしてたけど、リズムよく足も出てたし、加速もスムーズやったので良しとしよう。

それにまあ、暑くてキツかったのは僕だけではなかったようで、僕が歩いている間に颯爽と抜いていった多くの人が最後の5キロでバテテ沢山歩いてはった。やっぱりみんなキツかってんやろう。


正直思い描いていた走りとは全く違う結果になったけど、レースペースを交えたロングトレーニングとしては有意義やったやろう。ただはっきり分かったのは、レース本番がこんな気温なら、サブスリーはスッキリ諦めて走らないとアカンやろうということ。雨降ってくれへんかなーって本気で思う・・・

レースの後は梅田に寄ってぶらぶらして、
(阪急側から初めて見たけど、大阪駅がエラいことになってた)

その後はリカバリーを兼ねて御堂筋を難波まで散歩。途中そこら中に
大阪マラソンのキャンペーンが。マジで楽しみになってきた。

心斎橋(アメリカ村)を通って、さらに南下して難波に着いたんやけど、そこに居たのは完全に観光客気分になってるお上りさんの僕やった。20年前は自分たちの庭感覚で遊んでたこの街やけど、もう完全にアカンわ。見るもの見る人全部が面白い。昔はそんな感覚では見てなかったなー。

なんかグリコがエラいことになってるし・・・

よく走ってよく歩いて、クタクタになった一日でした。

マラソン本番まで後一ヶ月。僕も気合いを入れて走ります。

2014年9月23日火曜日

京都で新生活

母さんとの東北旅行の後、慌ただしく始まった京都での新生活も早くも2週目。学部生時代以来10数年ぶりの京都での新生活ですが、結構順調に過ごしております。

一ヶ月強お世話になる京大経済学部からは歩いて20分ほどの、北白川別当という辺りに短期滞在者用のアパートを借りられました。結構住宅地にあるので歩いて5分ほどの所にスーパーが3つも有って、心配していた食生活もなんとかなりそうです。

というか、なんとかなるどころか、
カツオのタタキやったり、
びんちょうまぐろのタタキやったり、カルガリーではまず食べることの無い魚料理を満喫しています。大好きなコロッケもスーパーで美味しいのがめっちゃ安くて、ほぼ毎日食べてます。ちなみに一つ目の写真の赤飯は帰国祝いで母さんが炊いてくれたもの。美味しかったです。

アパートには炊飯器もレンジも冷蔵庫もそろっているので助かります。カルガリーでは食べることの減っていた白米も、せっかくの美味しいお米なのでありがたく頂いています。

しかも走って10分ほどで鴨川(高野川)の河原に出られるので、間近に迫ったマラソンに向けての練習環境もかなり恵まれています。

これがアパートから走って10分ほどで着く高野川の河原。ここから河原沿いの遊歩道におりて2分も走ると、
鴨川合流地点に到着。ここから奥の方の川を上っていくと賀茂川となり、賀茂川と高野川がここで合流して左の方に下っていくと鴨川になります。暫くすると大阪の水源淀川になるので、大阪人にとってはとても大切な川。

まだ昼間に走るのは少し暑すぎるので、走るのは日が傾いた5時以降。
こんな感じ。川を上っていくので、行きは当然ながら微妙に登り基調で、しかも山から吹いてくる風があって結構キツい。その代わり帰りは下り基調に追い風なのでスピードトレーニングにはばっちり。

いよいよマラソン本番まで5週間に迫ってる。あっという間やね。怪我をしないように、キチンとスタート地点にたてるように頑張ります。

これからも、ぼちぼち京都暮らしの様子を書き残していこうと思います。

お休みなさい。

2014年9月13日土曜日

最後は花巻へ

いよいよ今日は旅の最終日。

昨日の夕方から降り始め、夕食時には雷が鳴り響くほどになっていた大雨も、未明には止んでくれていたようで、4時過ぎには海に面した窓がうっすら白んできた。気温が随分低いのか、窓から見下ろす海面に綺麗な雲海が出来ていて幻想的な景色。

ただまあ、そのせいで水平線から上がってくる日の出を見ることは出来へんかったけど。

昨日一昨日と一生懸命走ったので、今日はゆっくり寝てるつもりやってんけど、なんかもったいない気がしたので6時頃に布団から抜け出して散歩に行ってきた。

行ってきて良かった。ほんのり朝日が差し込んでくる散歩道は気持ちよかった。

ホテルのある高台から眺める浄土ヶ浜。東北の海を存分に満喫した3日間でした。

小一時間散歩した後、ホテルに戻ってもう一度露天風呂へ。心身ともに癒されました。

朝食はバイキング。目移りするほどいろんなお惣菜が並んでたけど、僕はせっかくの機会なので思いっきり和食の朝ご飯。
 キノコの煮たものや、ホタテのヒモの煮物なんてカナダじゃまず食べられへんからね。ご飯もお味噌汁も美味しかった。

母さんは、
思い切り和洋折衷・・・ でも結構タフやったと思うこの旅の最終日の朝にこれだけしっかり食べられるのは元気な証拠やね。


その後、駅までのホテルの送迎バスに乗り遅れるという大ミスがあったものの、ホテルが僕たち2人のために手配してくれたハイヤーのお陰で無事宮古駅に時間通りに到着。

本当に何から何まで行き届いたサービスで、気持ちの良い滞在になりました。

宮古駅からは内陸に向かって走っていくので、
ずっとこんな感じの、ほのぼのとした田園風景が続きます。昔は近鉄沿線もこんな感じがいっぱい残ってたけど、最近はどうなんやろうか?

2時間ほど走った後、盛岡で東北本線に乗り換え、さらに小一時間ほど電車に揺られ花巻に到着。同じ岩手県でも随分遠いね。四国がまるまるスッポリ入る大きさというのもうなずける。

駅からはタクシーにのって、従妹の嫁いだ小瀬川熊野神社へ。
ちなみにこの辺りにはそこら中に〜熊野神社という神社があって、実はここを探し当てるのに大変難儀しました。

で、従妹のかおりちゃんと約10年ぶりに再会。

地元大阪の従妹と遥々遠い花巻で10年ぶりに再会するなんて不思議やね。変わらず元気そうでなにより。カルガリーと花巻と、国は違うけど同じ北国の田舎の町の暮らしぶりを話せて面白かったです。彼女も僕も冬には毎朝雪かきすることになるとは思ってなかったやろうに・・・

神社から駅までは5キロほどなので、母さんが歩きたいというので道を調べて小一時間の散歩で帰ってきました。この4日間よく歩いたなー。

ちなみにこの辺りでも
 熊が出るそうです。

花巻駅周辺では、この週末の花巻の秋祭りで賑わってました。
久慈でも見たような山車が夕方の巡業の前に駅前に勢揃いしてた。

久慈では子供たちの練習を見れたし、ここでは山車や神輿も見れたし、たまたまとは言え地方のお祭りの雰囲気を味わう貴重な経験ができました。

さて、これで母と子水入らずの東北旅行は無事終了。クタクタになったと思うけど母さんにも楽しんでもらえたようで何より。僕も良い思い出ができました。

来週からはいよいよ京都に入ります。久しぶりの京都での一人暮らし、楽しみです。

2014年9月12日金曜日

浄土ヶ浜

宮古駅からはホテルの送迎バスで直接ホテルに移動したので、宮古の市内は全く見学することは出来へんかった。まあ、市内観光は次回にとっておくことにしよう。

最後の宿は市内から少し外れた浄土ヶ浜にあるリゾートホテル。
この旅行では民宿、旅館、ホテルといろんな宿を楽しめて面白かった。

浄土ヶ浜周辺の海岸は海からの眺めが良いと調べていたので、とりあえずチェックインを済ませた後は最終の遊覧船に乗るべく、浜へ急いだ。
これは周遊の後にとった写真やねんけど、実際はギリギリで間に合って少し焦った。歩ける母さんで良かった。

この遊覧船は景色を楽しむ以外に、周遊中にうみねこ(天然記念物らしい)に餌をあげられるというサービスが付いてる(というか餌用のパンを買える)。普段からカルガリーで歌鳥さんたちに餌をあげている僕はあまり興味が無かったから買えへんかったけど、みんな喜んであげてた。

ただ問題は、そのせいで景色の写真に必ずこんな感じで
うみねこたちが大量に映り込んでくること・・・ みんなガイドさんのアナウンスも聞かずうみねこに夢中で、ちょっと迷惑やった・・・

幸いにも、乗客たちの持ってるパンが無くなるとうみねこたちは居なくなり(実は船の上で待機しているだけなんやけど)、ゆっくり景色を楽しめるようになった。

ゴツゴツした岩礁。津波が来る直前はここら辺の岩礁がすべて露になるくらい波が引いたそうな。

 有名なろうそく岩。

こんな感じで、海の上からやと八戸や久慈で見たものとはまた違った雰囲気の海岸の景色が楽しめます。

周遊は50分ほどで終わったけど、母さんはえらく気に入ってくれたようで、珍しく観光船のお土産フォトブックを買ってました。

船の後は少し海沿いの散歩道を歩いて、土地の名前の由来となった「浄土ヶ浜」にも寄って来た。
その昔偉いお坊さんが「さながら極楽浄土のようである」と評したことからきた地名だそうな。ちなみに小袖海岸にもそんな地名がありました。

そうそう、ここ岩手県は宮沢賢治ゆかりの土地だけあって、そこかしこに彼の歌碑がありました。もちろんここ浄土ヶ浜にも。

遊覧船と散歩の後はゆっくりホテルの露天風呂に浸かってリラックス。夕方から降ってきた雨がかえっていい感じで風情を出してくれていて良かった。

お風呂の後はお部屋で少し贅沢な夕食を頂きました。この旅の大きな収穫の一つはウニを食べられるようになったこと。子供の頃食べた苦い記憶がずっと残っていて、ウニは食べられへんものと思っていたけど、八戸の「わが家」で食べた生ウニの美味さに感動して、ウニは(少なくとも東北で食べるものは)美味しいものということが分かった。

今夜の夕食にもたっぷりの生ウニが付いていて、最高でした。

露天風呂に豪華な夕食にと気持ちがよくなって、僕は結構早くに布団に入って寝てしまってんけど、実は母さんはその後1時半まであまちゃんのドラマの続きを見てたそうな・・・元気やわー。

明日はいよいよ旅の最終日。従妹の嫁ぎ先の花巻へと向かいます。

北三陸鉄道の旅

3日目は北三陸鉄道、もとい三陸鉄道北リアス線に乗って宮古に移動しました。

出発が昼過ぎと中途半端な時間なので、久慈市内にいる間にもう一度まめぶを食べておこうと、土風館のむかえの路地にある
「かだっ亭」という食堂にお邪魔してまめぶ汁を一杯頂いてきました。

ここのお薦めは普通のけんちん汁のような醤油ベースのスープではなく、鶏ガラでとったダシのスープにまめぶが浮かんでいました。
普通のまめぶ汁も美味しいけど、こちらもあっさりしていてとても美味しかったです。

北三陸駅は今は久慈駅となっております。当たり前やけど、駅の内装はドラマと違って喫茶(スナック)リアスはありませんでした。

駅のホームへ向かう階段、
列車操車場を眺める陸橋からの景色、
第一話で春子さんとあきちゃんを迎えた大吉さんが手を振っていた陸橋など、ドラマでよく見た光景が沢山あって、まるで自分がドラマの中にいるよう、というのは母の弁。

平日やというのにたくさんの観光客が同じ列車に乗り込んで、さながら小学校の遠足のように賑やかな車内。まあ、仕方が無いんやけど、おばさんがやたらとうるさく騒いでいるので辟易した。

ところで久慈駅を出てからの列車は、ドラマでのイメージとはだいぶ違ってしばらくずっと山の中を走っていきます。というか基本的にずっと山。所々海を眺める景色はあったけど、海を眺める景色で言えば八戸から久慈へ向かう列車の方が綺麗やったな。

でもまあ、海の景色はこれまでイッパイ楽しんだので、この列車の旅はあまちゃんゆかりのスポット巡りが楽しみ。

久慈駅を出発して20分ほどかな?
袖が浜駅に到着。実際は堀内駅。でも観光客用の看板が今でも飾られています。

「アイドルになりたーーい!」

この4月から通れるようになった田野畑以南の北リアス線。奥に見えるのは最終回であきちゃんとゆいちゃんが走っていったトンネル。

今はこうして通れるようになったけど、当時の被害を思うと胸が痛くなります。

実際に、列車は走るようになったけど、津波の被害の後は今でも線路脇に沢山残っていました。
こうして僕たちが観光に来ることが何らかの形で復興を応援することになればと願います。

僕たちの乗った列車を運転してくれていた、凄く良い笑顔の運転手さん。僕の会うことのできた東北の人たちは本当に優しい笑顔の持ち主ばかりでした。

約2時間で北リアス線の南端の宮古駅に到着。

この旅では今まで母さんには散々歩いてもらったので、ここ宮古ではゆっくり羽(足)を伸ばしてリゾート気分を満喫してもらう予定です。

久慈で朝ラン

3日目の朝は猛烈なニワトリの鳴き声で起こされた。5時過ぎからひたすら鳴き続けてた。しかもどことなく訛ってるし。ずっと無視して頑張って寝ようと思ってたんやけど、6時頃に諦めて、仕方が無いので走ってきた。

ちなみに久慈でお世話になった宿は「つたや旅館」。築80年にもなる立派な和風旅館です。

久慈で走るなら当然目的地は小袖海岸。昨日歩いて帰ってきた道を遡って走っていきました。
ドラマで長内組合長が封鎖する45号線は実在しました。
 長内川に架かる橋から眺める久慈市内。河口からは随分距離があるので、久慈市内は津波の被害はあまり無かったようです。

ただ漁港は大変な被害にあったそう。

30分ほど走ると、あたりの防災スピーカーから何やら賑やかな音楽がながれてきた。
何と、このあたりは朝7時の市内放送であまちゃんのオープニングテーマが流れるようです。毎朝こんな放送で目を覚ましたらさぞかし元気な一日が過ごせるやろうに。

途中からは東に面した海岸沿い(つまり小袖海岸)をずっと走って行くので、日差しがキツい。

50分ほど走ると海女センターへ到着。でもさすがに7時半にもなっていない早朝なので誰もいなかった。せっかくもう一度まめぶを頂こうと思ってたのに。

仕方が無いので、自動販売機で缶コーヒーを飲んで、帰りは久しぶりに頑張ってテンポ以上のペースで走ってみた。
 だからあんまり景色を楽しむ余裕は無かったけど、これは絶景の一枚。

8時過ぎに久慈市内に帰ってきて、宿の近くの交差点で撮った一枚。
金曜日の朝やのに人っ子一人歩いてない。これが大吉さんの言う「モータリゼーション」というやつや。

宿に戻ってちゃっちゃとシャワーを浴びて、朝ご飯。
昨日採れたての秋サンマ。頑張って納豆も食べました。

ちなみに僕たちが泊まった部屋は以前
も泊まられたことがあるようで、立派な床の間のある大きな部屋でした。畳の部屋でゴロンとなる感覚はやっぱり良い。いつかカナダでも畳のある部屋を作りたいもんや。

今日の午後は可愛い列車の北三陸鉄道に乗って宮古に向かいます。