2014年11月30日日曜日

寒いっ

この週末は先週と打って変わってこの冬一番の冷え込み。気温はマイナス20度を下回り、風を考慮した体感温度はマイナス30度。これは寒い。

大学まで歩いていくのに20分近くかかるんやけど、顔が痛い。体が温まるようにと早歩きすると余計に風を切って寒い。この気温の中歩くのは20分が限度や。

さらに悪い事に、金曜日の夜家に帰ってくるとなぜか暖房が止まってる。タイマーを解除して強制的に室温を上げようとしても、うんともすんとも言わへん。ヤバい。

とりあえず夏のヒートトレーニング用に買った小さな暖房器具を準備して、夕飯の間はなんとか凌いだものの、どんどん室温が下がってきてる。9時頃にとうとう17度を切ったので諦めて冬眠するつもりで布団に潜り込んだ。

セミナーの打ち上げのお酒がちょっと入っていたからか、布団に入ったらすぐに寝てもうた。起きたら暖房が復活していてくれる事を祈って・・・

7時頃目が覚めて、布団から腕を出して室温を感じてみるとやっぱり寒い感じ。まだ外も真っ暗やし、と思い8時頃まで布団の中で待機するも、暖房は止まったままや。

気合いを入れてリビングに下りて室温を見るとなんと8度・・・小さなヒーターでどうこう出来る状況じゃない。このまま家にいても布団から出られないし、どうせ寒いならと走りにいく準備を急いでして、ついでに大家さんに報告しにいこうと。

そうこうしていると前の晩に書いたSOSのメールに大家さんが気付いてくれて、追加のヒーターを持って来てくれ、急いでなんとかするからと言ってもらえた。大丈夫やろうか?

不安を拭えないまま走り始めても、やっぱり外も寒い。マイナス20度を下回りしかも風があると、さすがのバルタン手袋でも手先が痛い。向かい風の間は手を手袋の中でグーにしてなんとか凌ぎ、ゆっくりゆっくり意識して2時間ちょっと、ちょうど20キロの極寒ロングラン。この環境では上出来や。

残念な事に帰ってきてもまだ暖房は復活しておらず、室温は7度。さらに下がってる。ただダンの息子のショーンが頑張って復旧作業をしてくれいて、修理の目処は付いたよう。

この時とばかりお風呂にゆっくり浸かって待っていると、集中暖房が動き始めている音がしてきた。ちょっとホッ。

問題は一度冷えきった家を暖めるのには結構時間を要するので、風呂上がりは結構冷えた。なのでこの2年は使う事のなかった暖炉に久しぶりに火を入れてなんとか急場を凌いだんやけど、やっぱり一人暮らしで暖炉は何となく寂しい。

まあ、そうこうしているうちに室温は17度近くまで上昇してきた。普段寒い寒いと言ってる17度やけど今日はとても暖かく感じて嬉しかった。普段当然のように享受しているこの集中暖房の有り難さが文字通り肌身に感じられました。それと同時に、カナダの北のテリトリーを含め貧しい北の国々での、十分な暖房設備のない環境での暮らしを想像するといたたまれなくなりました。

幸いにも暖房は昨日の復旧以降休む事なく部屋を暖め続けてくれています。迅速に対応してくれた大家さんに改めて感謝です。

明日からいよいよ12月。2014年も残り一ヶ月。寒さに負けず頑張ります。

2014年11月23日日曜日

冬でも外で

今週末は随分暖かくて、今日はプラスにまで気温が上がってたみたい。

という訳で、昨日今日と頑張って運動してきました。昨日の土曜日はロングラン。曇っていたのでノーズヒルには行かず、ボウ川沿いを一定のペースで。途中2キロだけペースを上げて走ってみたけど、やっぱり速く走るのはしんどい。当たり前やけど。

それと標高のせいか、日本で走っていた一月前より同じペースでも少し心拍数が高い。でも、やっぱりマラソンを走ったことはそれ自体かなり良いトレーニングになっていたようで、体感負荷で思っているよりちょっとだけペースが速い。冬の間は心拍数150〜160の間で走れるペースを出来るだけ上げられるよう意識してトレーニングします。

そんで今日は自転車。今年の冬はカルガリーの強者レーサー達を見習って、今週末のように暖かい日は出来るだけ外で乗るようにします。何せそのためにランディを手に入れたんやし。

でも、さすがにいきなり気温の上がっていない午前中に走り出す程の根性は無かったので、昼過ぎまで買い物やら家の用事をしながら待って、2時頃いよいよ出発。暖かくなったと言っても、やっと+1度。まあ最初はこんな位でちょうど良い。

ルートは、家から自走でロッキーリッジ辺りのクロウチャイルドへ出られる、住宅街を抜けていく道。以前一度走ったことがあるけど、曲がりくねってかなりややこしい。ただ冬ライドの格好をして自転車を車に積んで行くというのは大変なので、なんとかして習熟しておきたいところ。

行きしなは一カ所戸惑ってしまって時間をロスしたせいで、1時間もかかってクロウチャイルドへ出られた。本来ならクロウチャイルドの広い路肩でしっかり走り込みするためにここまで来るんやけど、この時点で既に3時を回ってる。日が暮れるのも早いし、今日はクロウチャイルドはちょろっとだけ走った。

帰りは道も覚えたし下り基調やったということもあり40分程で帰って来れた。行きもこれくらいで出られれば、クロウチャイルドでの走り込みも合わせて2〜3時間程の自転車トレーニングにちょうど良いな。

カルガリーに帰ってきて丁度2週間。時差ぼけでだらしなく過ごしてしまった感は否めないんやけど、でもその割には思っていたより早く冬のトレーニングモードに入っていけているような気もする。

これからもこの調子で頑張ります。

2014年11月21日金曜日

時差ぼけの反撃

今週はキツかった。完全復活どころか、見事な返り討ちにあってもうた。

やっぱり二ヶ月に及ぶ日本滞在からくる時差ぼけは、そう簡単に克服出来るものではないようで、今週は先週始め以上にグダグダな日々を過ごしていました。みっともないのであんまり細かくは書かれへんけど。

先週の終わり頃に時差ぼけは治ったと思っていたので変な悪あがきしてしまい、それが余計に状態を悪化させる結果になったみたい。全然運動もせえへんかったし。

わざわざブログに書くことじゃないかも知れんけど、万が一「寝まくり作戦」を試してみた人から「全然アカンやんけ」と苦情が来ないように。

出来ればこれきりにしてほしい。そう思って今日は朝から気合いを入れて仕事をして、昼にはジムへ行き、さらに家に帰ってから一時間ちょっとトレーナーで自転車こぎも頑張った。週明けにまたウダウダ言わなくても良いように、この週末にはしっかり生活のリズムを取り戻せるようにします。

とりあえず、ご報告まで。

2014年11月15日土曜日

ロッキー詣で Winter Run 開始

寝まくり作戦による時差ぼけ解消は大成功なようです。昨日は5時に起きたけど、その後日中の仕事はすこぶる捗ったし、昨夜は11時過ぎに寝て8時間ぐっすり寝れました。今のところ日中の不快感も無いし、完全復活と言っていいでしょう。

ただ時差ぼけは解消されても、カルガリーに帰って来てもう一つ閉口しているのが、暖かかった大阪から放り込まれたこのカルガリーの寒さ。堪えます。

でもだからといって家に籠っている訳にはいかないので、今朝は気合いを入れて走ってきました。今年の冬は2010年岩渕さんとボストンマラソン対策に走りまくった冬以来、初心に帰って冬の走り込みを復活しようと思っています。クロカンとの両立をどうしたもんか悩みどころやけど、どちらかと言うとラン重視で。

やっぱりラン練習再開はロッキー詣でからと、さっそくノーズヒルに行ってきました。

お日さんに照らされながら、こんな感じのノーズヒルの入り口の坂を登っていくと
もう真っ白に雪化粧されたロッキー山脈のパノラマがご褒美。

何度登ってもやっぱりこの景色を見ると、どんだけ寒くても頑張って来て良かったと思う。その分ガスがかかって見えない時はかなりガッカリするんやけど。今日は最高。

そこからこんな感じで地平線に横たわるロッキー山脈を眺めながらしばらく走って、ある程度のところで折り返し、家に帰ったらちょうど2時間弱、17キロ走りました。

随分久しぶりに雪の上を走ったけど、去年全く使わなかったスノーターサーのお陰でいつも通りに走れた。というか、いつも通りという以上に、滑らないように重心の位置を意識して走るので良いコアトレーニングになってる。やっぱり岩渕さんとのあの走り込みがあったからあのボストンでの走りが出来たんやろう。基礎は大事や。

ちなみに今朝はマイナス20度くらいでスタートしたので、初めに付けていった手袋では手が痛くなって来たので、家に戻って
去年クロカン用に手に入れたこのバルタン手袋にかえて走ると凄く快適でした。今まで冬トレのための手袋探しには随分投資をしたけど、このバルタン手袋は完璧や。

それ以外の冬ランの装備は今まで通りで問題無し。もう慣れたもんや。

昼ご飯はいつものゴールデンをねじりパスタバージョンで作ってみた。
例によって作りすぎた。でも美味かった。残りは明日の昼にでも。

今日は夕方宮地さん家で、何度目かの大阪マラソン完走祝いin Calgaryです。それまでは久しぶりに吉田さんとドライブがてらお買い物にでも行ってきます。

時差ぼけが早くに解消されて良かった。

2014年11月13日木曜日

完全復活、なるか・・・

覚悟していた通り、帰国後はかなり酷い時差ぼけに苦しめられていました。いや、苦しんでいたというのは、あまり正確な表現じゃないかな。でも実際のところは死んでました。

今学期はサバティカル中で出勤義務が無いというのを良いことに(というか基本的にはいつも無いんやけど)、今回の時差ぼけは寝まくって治すという策を取ってみたんやけど、よくまあそんなに寝られるなと自分でも驚くくらい寝まくっていました。

あまり書くと社会人としての適正を疑われてしまうかも知れんけど、でもまあ普通の会社勤めをされている方、あるいは家族を持たれている方にはおそらく実行出来ない策であろうことは間違いない。

というのは、寝まくって寝まくって、だんだんと正常な時間に目が覚める体のリズムに戻ってくるようにしてみようという、超自然任せな作戦やから。

作戦の結果は、帰国した日曜の夜から実行して、今朝、木曜日の朝4時半に目覚めました。(いや、その間ずっと寝てた訳じゃないよ。火曜にブログも書いてるし。)まあちょっと早起きというくらいかな。しかもその4時半の目覚めから昼寝もせず、昼の3時頃に強烈に眠気に襲われたものの、なんとか通常営業で仕事をしてきました。これを書いている夜8時過ぎの時点ではちょうど程よい眠気がきた感じで、10時には落ちてるでしょう。

今まで日本から帰ってくる時は一週間以上は時差ぼけでずっと頭が痛い、睡眠のサイクルがズレる、ということを経験していたけど、この寝まくる作戦は結果としては案外上手くいったんじゃないかと思う。もし明日から通常のサイクルに無理なく戻ってたとしたら大成功。完全復活近し。

という訳で、今日は2ヶ月ぶりにジムへ行き、大阪マラソン以来2週間ぶりに体を動かしました。体系だったトレーニングはまだしばらくしないけど、今日はとりあえず全身の機能チェック。帰ってからは20分だけトレーナーで自転車にも乗りました。ボチボチ冬のトレーニングモードへ。来年の目標も考えていこう。

今晩は久しぶりの作り置きカレー。まだ残ってた。
それとケール・マッシュルーム炒め。幼なじみの胡ちゃんにもらった新米の伊賀コシヒカリがめちゃくちゃ美味かった。でもカレーにはちょっと勿体ないわ。

とまあ、こんな感じでやってます。

おやすみなさい。

2014年11月11日火曜日

カルガリーは真っ白

カルガリーに帰って来て2日が経ちました。例によってこの2日間は特に何もせず。時差のせいなのかなんなのか、常にやたらと眠たい状態が続いています。一週間くらいは使い物にならないのを覚悟で、ボチボチ慣らしていこうと思います。

ところで、2ヶ月ぶりのカルガリーは既に真っ白でした。
僕が帰って来た日の前夜から降り始めたようで、前の庭も吉田さんも雪に埋もれていて、
横の庭もこんな状態。

気温も今朝はマイナス20度まで下がっていて、体感温度ではマイナス25度だったとか。これから本格的な冬が始まるようです。僕もしっかり冬仕様の体にしていかないと。今年は初心に帰って冬場もしっかり走るつもりです。もちろんクロカンも。

何はともあれ、わが家に帰って来てホッとしています。2014年も残り僅か。しっかり頑張ります。

2014年11月8日土曜日

いよいよカルガリーへ帰る 最後の数日

日本列島縦横無尽、4000キロを超える弾丸特急の旅も無事終わり、日本での滞在も残り3日。

思い残すこと無く過ごすと言いたいところやけど、旅のダメージと言うか疲れは意外にあったようで、帰ってきた翌日は例の体中の怠さと熱っぽさでダウン。実際に熱は無かったようなんやけど、やっぱりお腹は下してた。ミラクルさんと会うために夜少し外に出た以外はずっと家で休んでた。荷造りも一向に捗らず。

翌11月7日は母の誕生日。日本を出てからこの時期に日本にいることは無かったので、誕生日を一緒に祝えるのは10年ぶり。日中は重い腰を上げて荷造りの準備をして、それから夕飯を一緒に食べに行った。

道具屋筋で欲しかったカネの卸器を手に入れた後、近くのお寿司屋さんで軽くつまむ。出来てまだ4日目という「まぐろや」という店なんやけど、マグロ好きの僕にはたまらん店やった。今度帰ったときには絶対また行こうと思う

そこからミッチーの店まで歩いて行ったんやけど、アメ村を通ったのでこれまたベタな甲賀流たこ焼きもつまんできた。特別美味い訳じゃないんやけど、まあお決まりやから。

三角公園でたこ焼きをつまむ親子2人。アメリカ村なんて初めてやと言う母さんの思い出に、前に座っていたお兄ちゃんに頼んで一枚パチリ。

その後ミッチーの店で弟と合流してお祝い。
この帰国では母さんとはよく飲んだ。いつまでも遊びに連れて行ってあげられる元気なお母さんでいてください。

最後の一日は、お尻に火がついて荷造りを頑張った。頑張ったら意外とあっという間に終わった。夕方甥っ子達と近くの温泉に行く約束をしているので、それまでは旅日記のブログを書いたりしてまったり過ごす。最後の一日らしい懐かしいゆっくりとした良い一日でした。

夕方甥っ子達が迎えに来てくれて、日本でしばらく最後の露天風呂を一緒に楽しんだ後は、兄の家まで送って行き、兄家族と一緒に焼き肉。最後の焼き肉も美味かった。

いよいよ明日日本を発ちます。2ヶ月本当に充実して過ごせました。思い残すこと無くカルガリーに帰ることが出来ます。一緒に遊んでくれた皆さん、本当に有り難うございました。

それじゃ、行ってきます。

2014年11月5日水曜日

九州最終日、博多へ

昨日の砂むし風呂に湯中りしたのか、あるいはその後ウロウロ歩いてたから湯冷めしたのか、何やら寝起きから体がだるくて熱っぽい。お酒も控えて静養モードの旅行中やのにこれはどうしたことか。

起きて天気がよければもう一度砂むし風呂に行こうとでも思っていたのに、予定変更して9時前まで部屋でゴロゴロ。

電車の時間があるので9時過ぎに気合いを入れて部屋を出て、辺りを散策。

この辺りもウミガメの産卵が多くあったところのようで、この指宿温泉界隈にも
こんなウミガメのモニュメントがありました。ウミガメの親子って変な感じやけどね。

 この日本滞在では沢山の海を観ました。これは指宿の海。やっぱり湾の中だけあって海は穏やかです。

ブラッと散歩して回った後は駅前まで戻り、11時頃特急「指宿のたまて箱」、通称いぶたま号に乗り鹿児島中央へ移動。
 変な塗装のいぶたま号は実はかなりな人気な様で、2両編成の指定券は発車1時間前には売り切れていました。早くに買ってて良かった。

朝からの体のだるさはこの頃になっても収まる気配はなく、仕舞にはお腹まで下し気味になってきた。まあ後1日乗り切るしか無い。とりあえず移動中の電車ではひたすら寝ることにした。だからあんまりいぶたま号の記憶はない。

鹿児島では予定の新幹線まで2時間あるので、せっかくなので桜島を見に行こうと島に渡るフェリーの桟橋までバスで移動。

桟橋の隣にある鹿児島水族館では館前の一般開放されている水路でイルカショーをしてた。
ショーと言うよりはイルカのことを知ってもらうための教育活動の一環かな?鹿児島水族館なかなかやるやん。

初めて見る桜島は燃えていました。ちょうど前日より噴火が始まったようで、煙がモクモク。街中の道には灰が落ちていて、駐車中の車は真っ白になっていました。ここで暮らすのは大変やろうね。

2時間はあっという間にすぎて、急いで駅に戻り新幹線に飛び乗って、1時間ちょっとウトウトすると
今回の旅の最終目的地、博多へ到着。

どこでも書いてることやけど、博多の街は大きかった。今まで日本の大都市って大阪周辺とちょっとだけ東京を見たことあるだけで、その他の地方都市のことは全く知らんかったけど、名古屋、仙台、鹿児島、どれをとっても世界の中では(少なくとも北米の街と比べると)かなり大きな街なんやと言うことが良く分かった。

バスも地下鉄も普及している博多の街やけど、せっかくなのでブラブラ歩きながら街の散策をすることに。体のだるさは動いて治すぞ。

博多で有名な大仏さんの地獄巡りでは、珍しくおみくじを引いてみた。何が出たかは伏せておくとして、「何事も我慢」ということが書いてた。旅も「控えろ」と。アカンやん。

色々回って2時間程歩くと福岡城跡地へ到着。天守閣やそう言ったたぐいの建物が無いので、むしろ綺麗で静かな公園と言う感じ。天守閣跡から見える博多の街はデカかった。

その後は、博多と言えばやっぱりラーメンと言うことで、少し弱ったお腹にも関わらず、長浜ラーメンの「やまちゃん」へ。
これはチャーシュー麺。

ごちゃごちゃした今時のラーメンじゃなくて、「飲んだ後に屋台でサッと一杯」といった感じの、なんというか「潔い」ラーメン。今度は是非博多の街で飲んだ後に来てみたい。

なんとか「博多でラーメン」という旅の最終目的も達成できた。最終日になって急に体調を崩したので、博多は飛ばそうかとも少しは考えたんやけど。でも来れて良かった。

思い残すことなく大阪に、カルガリーに帰れます。

新幹線では案の定爆睡してました。新大阪止まりで良かった。

日本滞在は残りわずか3日。体は大丈夫か?

2014年11月4日火曜日

湯の町指宿

指宿に着いたのは昼過ぎ。かなりお腹が空いていたので、宿に荷物を預けるとすぐに駅前に戻り昼ご飯。

最近流行らしきご当地グルメにも引かれたけど、ラーメン好きの僕が選んだのは
駅前食堂「青葉」の伝説のチャンポン。地元の人にはこちらが人気なようで、昔ながらのチャンポンで具がたくさんでめっちゃ美味かった。

お腹を満たした後は午後のバス旅行なんやけど、いかんせん路線バスは本数がかなり少ない。次のバスまで30分近くあるので、やっぱりここは湯の町指宿、
 駅前にある無料開放の足湯をさっそく堪能してきました。

これは気持ちいい。地元の人の駅前の憩いの場に足湯があるなんて素敵やわ。

時間になってバスに乗り込み、目指すは伝説の怪獣イッシーがいると言う池田湖へ。九州最大の湖だそう。乗り降り自由のバスチケットなので本当ならば色々降りて探索したいところやけど、いかんせん便数が少ないし、とりあえず日が暮れる前に一番遠い場所まで行ってみることにした。

バスには僕以外には地元のおばさん2人だけ。みんなあんまり路線バスでは観光せえへんのやろな。

途中
海沿いを走り、
畑を抜け、

一時間程走ると
池田湖に到着。

思ってた程大きくなかったのに驚いた。でも水はきれいで、なんせ
が穫れるそうな。ホンマかいな?

で、イッシーというのは
こいつなんやけど、なんで怪獣に「くん」やねん・・・

来てみたもののそんなに沢山観るものもすることも無いので、折り返しのバスに乗りそそくさと池田湖を後にして、次に向かうは長崎鼻と竜宮神社。

長崎鼻は薩摩半島の最南端の岬。そこにある神社が竜宮神社。

着くや否や
後光の差してる浦島太郎と亀が迎えてくれた。 日本に帰ってきてずっとうらしま状態の僕には彼の気持ちは良く分かる。亀は助けてないけど。あっ、雀ちゃんは助けた。あとウサギの赤ちゃんと。

この長崎鼻からの一番の景色は、薩摩富士とも言われる開聞岳。
絶景です。

そしてこれが竜宮神社。
 縁結びの神様だそうな。浦島太郎ってそんな話やったか? でも一応キチンとお参りしておきました。

一通り辺りを見て回り、帰りのバスを待つためにバス停のまわりウロウロしていると
11月と言うのに真っ赤なブーゲンビリアが咲き乱れていて綺麗でした。鹿児島はやっぱり南国なんやなー。

バスに乗ればもう随分日も落ちて、
 開聞岳の向こうに沈む綺麗な夕焼けを観ることができました。

6時過ぎに指宿市内に帰り、指宿名物砂むし風呂を堪能した後は、また駅前まで戻って、もう一つの鹿児島名物黒豚を使った贅沢カツ丼を頂いてきました。
鹿児島黒豚最高です。美味かったー。セットに付いてきたそばも美味しかった。指宿に出かけられる際には駅の西口にある長寿庵お薦めです。

宿に帰る前に駅前でもう一度足湯をしてたら、反対側に部活帰りのような高校生カップルが足湯デートしてた。聞くとなしに話を聞いていたら先輩後輩のようでもある。何とも言えないほのぼのした時間が2人には流れているようで、ちょっとだけ羨ましかった。まあもう一度高校時代に戻れると言われても絶対に断るけど・・・

鹿児島旅行も明日が最終日。博多へ向かいます。

2014年11月3日月曜日

知覧の朝、そして指宿へ

夜中に一度起きた記憶があるけど、そのまま寝続けて起きたら朝7時。10時間くらい爆睡してたみたい。よっぽど疲れてたんやろう。


朝食は7時半からの予定。でもさすがに小腹が空いていたので昨日買っておいたヨーグルトとシリアルで誤摩化す。

7時半になって一階へ下りていくと大広間に朝食が用意されていました。
この広間はまだ富屋食堂だったころ特攻隊員の方々の憩いの場だったところだそう。

薄々気付いてはいたけど、昨晩の宿泊客は僕だけやったみたい。一番特等席にドーンと僕の朝ご飯が。

朝ご飯。
特攻隊員と言えど、戦争末期にこんなにおかずが沢山の朝ご飯を食べられていたのかは分からんけど、それをイメージさせるような煮干しとさつま揚げが主食の朝ご飯。豪華とは決して言えない朝食やけど、この広間で食べるとやっぱり心に染みてくるものがありました。ウン十年ぶりに食べた卵かけご飯が超美味かったです。

食事中なんか視線を感じると思ったら、
縁側から猫ちゃんが覗いてた。さては煮干しか。

追いかけたらすぐに逃げちゃったけど、庭にはこの白猫の他にも何匹かウロウロしてた。後で聞いたら飼ってる訳じゃないけど、居心地が良いようで良く遊びにくるそうな。

確かに居心地良さそうや。

食事の後は部屋に戻って旅支度。チェックアウトの前にもう一度広間に戻って縁側で暫しゴロンと休んでいるのが最高に気持ちがよかった。やっぱり畳は良いな。

チェックアウトのときには女将さんと初めてゆっくりお話しができて、また来ますとお別れしてきました。本当にまたゆっくり過ごしたい宿です。

昼前に指宿に向かうバスが出るので、それまでは知覧でもう一つ有名な武家屋敷群の見学。薩摩の時代の外城の名残で優美な庭園が並ぶ町並み。

国の「名勝」に指定されていて中が見学出来る庭はこんな感じで
手入れの大変そうな生け垣が見事です。

小一時間散策した後は知覧のお土産を買いにお菓子屋さんとスーパーへ行き、まだ時間があったのでブラッとしてると、
市役所にはこんな垂れ幕が。知覧は今年のノーベル物理学賞、赤崎先生の出身地だったそうです。町のいろんな商店にも受賞を祝うポスターが貼られてました。町の誇りやね。

バス停では地元のおばあちゃんとの楽しい会話なんかもありながら、時間通りに来たバスに乗って揺られること一時間ほど。 
鹿児島が誇る温泉街、指宿にやってきました。

続く

遥々来たぞ、鹿児島

心行くまで楽しんだ同窓会から家に帰り着いたのは3時頃。旅の予定では高安駅5時45分発の電車に乗らないとアカン。こんなこともあろうかと、飛び起きても出かけられるように旅の準備はしておいたので、5時に目覚ましをかけて寝る。あっという間に目覚ましがなり、フラフラになりながらも家を出た。外はまだ暗い。

そこからの記憶は今イチ無く、夢うつつのまま近鉄とJRを乗り継いで新大阪まで行き、8時前の鹿児島中央行きサクラ号に乗り込み、
隣が空いていたこと幸い2席使って爆睡し、気がついたら

遥々来たぞ、鹿児島。生まれて初めて九州の大地に降り立ちました。

暑い。鹿児島は夏やった。思わず半袖になり辺りをウロウロすると、何やら今日は鹿児島の秋祭りの最終日でパレードが行われているよう。思ってた以上に賑やかで驚いた。

得した気分になりながら、知覧行きのバスの2日間有効パスを買える乗り場まで、パレード見物客の間を縫って歩く。途中うどん屋さんを見つけてお昼ご飯。

カレーうどん。大好きなカレーうどんやけど、帰ってきて2ヶ月で初めて食べた。

途中パレードになぜかリポビタンDのブースを見つけたので、
滋養強壮に1本頂く。ちょっと元気が出た気がする。ファイトー。

パレードの為にバスは予定より随分遅れていたけど、午後1時頃無事知覧行きのバスに乗り込みました。

知覧までの道は、今は随分綺麗に整備されているそうやけど、それでもかなりうねうねの山道。そこをバスの運転手さんはかなりのスピードで飛ばすので結構怖い。
(後部座席から振り返って撮った一枚。臨場感が伝わるやろうか?)

知覧は結構山の中にあるようで、途中の景色は
こんなん。日本の山っていう感じやね。所々山の向こうに海が見えたりして、とても素敵な自然の風景でした。

一時間程で知覧に到着。やっぱり山の上。風も少しありちょっと肌寒い。そらそうや、11月やもん。

今回の鹿児島旅行の一番の目的は、ここ知覧にある特攻平和会館を訪れること。多感な10代の頃から「きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記」を読み、ずっと一度は来てみたいと思っていたから。そして初めは年上のお兄さんとして、やがて同年代として、そして今は教え子の世代となった戦没学生の方々とあまり歳が離れてしまう前に来ておきたかったから。

新しく綺麗になった特攻平和会館。多くの見学客が訪れられていました。

館内は写真撮影厳禁なので中の写真はないけど、実物の戦闘機の他、この記念館の中には沖縄戦での特攻作戦で亡くなられた千数十名の戦没者の写真がかざられています。

その中で、僕が以前から「わだつみ」の中でとりわけ気になっていた人の名前を見つけ、その彼の写真を見た時はとても不思議な感覚に襲われました。やっと会えた、とでもいうかな。しかもその彼がもの凄く男前(今で言うイケメン)やったことにさらに驚きました。

「日本は負けるよ」と冷静な判断で当時の状況を見抜きながらも、特攻と言う文字通り必死の作戦に従事した彼の心にはどのような気持ちが去来したのか。想像することすら難しいけど、それを考え続けることが今を生きる僕たちの義務なんだと思いました。

館内に納められているそれぞれの戦没者の手記、遺書をすべて読もうとすると、それこそ何日も通い詰めないといけない程にあるので、とりあえずはそれぞれの顔写真を眺めながら、感謝の気持ちで祈りながら館内を一周するとちょうど閉館の時間。2時間しか居れなかったのはちょっと短かったかな。続きはまた今度。

外に出ると随分日も沈み始めてたので、暗くなる前に宿に行こうと街の方へ歩き始めた。

で、その道路沿いにはこうして灯籠が延々と並べられて、後から知ったところでは、街中に特攻で無くなられた方の数と同じ数の灯籠をたてる計画だそう。(すでに達成されているのかどうかは知りません。)

20分程歩くと知覧の街の中心部に到着。
既にしんと静まり返った田舎の町と言う感じ。スーパーとお菓子屋さんと食堂が開いてました。

今夜のお宿は
富屋旅館。特攻に飛び立った飛行士たちが訓練生時代から通っていた食堂を、戦後改築して旅館として現在まで続く知覧で数少ない宿。

まあいろんな思いがあってこの宿にしたんやけど、現実的には知覧で泊まるにはここしかない。

中は当然このように畳で最高。でも、というかお陰でというか、さすがに昨日からの疲れが部屋に入ってどーっと出てきた。

なのでとりあえず近くのみなとばし食堂で
トンカツ定食を頂き、

なんか甘いものをと思って隣のお菓子屋さんで買ってきた
ケーキを食べて、

お風呂に入ったら9時過ぎに寝落ちてもうた。あっという間であまり記憶が無い。さすがに疲れてたもんな。

明日は午前中知覧武家屋敷群を見学した後、鹿児島の誇る温泉街、指宿に移動します。

旅ももう後わずか。