2014年10月27日月曜日

大阪マラソン

いよいよこの瞬間がやってきました。大阪マラソンスタートのAブロックに並んでスタートを待ちます。

大きな大会のためスタート20分前には整列を閉め切り、ブロック毎の間隔を詰めます。僕はちょうどAブロックの真ん中辺り。スタート直後は大混雑になること間違い無し。でもまあ、これはどこでも一緒やろう。

15分程前に開会のアナウンスが始まり、周りの興奮は少しずつ高まってきている様子。進行役が、僕が小さい頃から聞いていたFM80.2のDJやったので、大阪のイベントに出ている感がさらに増しました。ヒロTじゃなかったのはちょっと残念・・・

衝撃やったのが、開会のアナウンスで現時点での気温が23度だと、そしてさらに暑くなる予報だと聞いたこと。確かに過ごしやすい気温やとは思っていたけど、既にそんなに上がってるなんて。日中の最高気温でそれくらいだろうと思っていたので大誤算。

この時点で今日のサブ3はおろか、3時間2分さえも無理であろうことはハッキリしたので、出来るだけダメージが小さくなるよう戦略の立て直し。特に前半は思い切りペースを落として走る覚悟を決めました。

8時55分に車いす部門がスタートして、次はいよいよ僕たちの番。カウントダウンの後9時ぴったりに号砲が鳴ってスタート。42キロの長い過酷な旅の始まりです。

僕のいた所からスタートまでは40秒程。みんな我先にと前を行くので、どうぞどうぞと先を譲りとりあえず気持ちを落ち着かせることに集中。1506番目にスタートラインを通過したそうです。

スタート直後中央大通りに出てからは長い下りがあるので、みんなそこは猛烈な勢いで駆け下りていっていました。ジグザグに縫うように前に行く人を見送って、初めの1キロは4分50秒。これは最初の混雑を考えたら許容範囲。坂を下りきって少しスペースのできた次の1キロは4分24秒。今日はこれくらいのペースで行けるかな、と思っていたペース。

ただ毎度のことながらスタートちょっと前からモヨオしてきたのがこの辺りで本格化してきて、今まで2度のマラソン同様スタート直後のトイレストップ。これはなんとかならんもんかな。

でもまあ、我慢して走ってもしんどいだけなので、トイレの案内を見つけてコースアウト。誤算やったのが、コースから仮設トイレまで結構距離があって全部で1分ちょっとロスしてしまったこと。これもまあ文句は言われへん。これも含めてマラソンやから。

気を取り直して再スタートして、キロ4分20秒前後のペースで走り続けて最初の5キロを23分25秒で通過。ちなみにこれはサブ3を目指すペースからは2分以上遅れてる。まあ既にサブ3は考えてなかったけど。ちなみに5キロ地点は1569番目に通過。

次の5キロは大阪マラソンの目玉、御堂筋逆走を含む区間で応援も凄かった。しかも職場が近い母さんの応援を見つけられてハイタッチ出来たのは嬉しかった。相変わらず周りにたくさんの人が走ってたけど、大体同じようなペースで走る人でそろってきたので随分走りやすくなってきた。しかもスタートからこの辺りまではビルの谷間の陰を走っていたので気温の割に比較的体は楽やったと思う。

天満の辺りから大学の陸上部らしき青年が良いペースで走っていたので、彼に合わせて走れるようにロックオン。所々風が強く吹いていた辺りは出来るだけ人の後ろを走って体力セーブ。こういった細かい意識が今日のレースは非常に大切やったと思う。

この5キロは21分47秒。最後までこれくらいで走れたら良いんやけどなーって淡い期待もこの頃はありました。10キロ地点は1317番目に通過。ちょっと前に出たかな。

10キロから15キロの区間も例の青年にくっ付いて走ってペースをキープ。区間タイムは21分32秒で、今日のベスト。ただこれが今日のピークやった・・・

続く15キロから20キロもなんとか彼に付いていってはいたんやけど、だんだん日向を走る時間が長くなりシンドさが増してきてた。この5キロは22分6秒。30秒も落ちた。20キロを過ぎた辺りから彼の背中がどんどん遠くなっていった。

しんどかったけど沿道の応援がもの凄くて、なんとか気持ちを切らさずに走れてた。御堂筋と千日前通りの交差点で四方から応援を受けて圧巻。ちなみにこの辺りで、今日来れなかったはずの岩渕さんに応援されている声を聞いた気がするんやけど、多分言霊が声援を運んでくれたんかな。嬉しかったです。

そのあとハーフの通過で1時間35分。この後ペースを上げてネガティブスプリットなんて芸当は今日は出来なさそうなので、3時間10分もちょっと厳しくなってきた。だんだん気持ちが弱くなってきてた。今までの2度のマラソンではこんな弱気は残り5キロ位まで出てこなかったけど、これがマラソンの怖さなんやろう。

沿道の声援が背中を押してくれて、それに約束通りニコニコ走るという気持ちがなんとか弱気な自分を奮い立たせて走り続けました。でも、20キロから25キロまでの5キロが22分50秒。ズルズル落ちてる。マラソンは甘くない。

ただ後から分かったのは、15キロ地点で1251番目、20キロ地点で1197番目、25キロ地点で1142番目と全体的には追い上げ基調だったこと。確かに周りのペースは随分落ちてたし、今思い出せば抜かれるより抜いていく方が多かったような気がする。

そして25キロから30キロ区間。ダラダラまっすぐな道が続いて、声援もそれまでのようなボリュームはなく、日陰も無い。暑い。ただそんな中でも応援に来てくれていた大切な人の気持ちがなんとかかんとか前に進む力になったと思う。

そして魔の30キロ通過を1017番で通過。まだ上がってる。でも実際はここからが一番キツかった。

よく30キロ通過でエネルギー切れ、俗にいう30キロの壁とか言うけど、僕の場合エネルギー切れというのでなく、32キロの時点で右足太ももの裏が攣った。これはマラソンでは初めての経験。かなり焦った。こんな所でリタイアする訳にはいかんと。

止まっちゃったり攣った筋肉を無理に伸ばしたりしようとすると戻れなくなるので、とりあえず30秒程歩いて気持ちを落ち着けて、攣りがひどくなったり痙攣しない状態なのを確認してからゆっくりジョグで復帰。

今思い返してもこれはなかなか冷静な判断が出来たと思う。これまでの経験の賜物か。でも、これをきっかけに試練はここから何度も訪れました。

どんどんどんどん気持ちが凹んでて、給水所以外でも何度か歩いたし、「マラソンってこんなにしんどかったっけ?」って今更何を言ってんねんという自問を繰り返し、ちょっとマラソンを軽くみてた自分を責めました。

ただ、そんな一番キツかったこの辺りで、実は僕は「今日のこの大阪マラソンに出て良かった」って心の底から思ってました。しんどいときに沿道からの暖かい「がんばれー」の声、給水所のおばちゃんが「くにおちゃーん、頑張ってー」って親戚のおばちゃんみたいに言ってくれる声援、それに幼稚園児の大集団に「くにおまーん、がんばれー!」って叫んでもらった時は戦隊ヒーローのお兄さんにでもなった気持ちで力を貰いました。

自分の勝手な期待や理想と比べて凹んでる僕も、もしかしたら応援に駆けつけてくださった沿道のみんなからはめっちゃ頑張ってるヒーローなんかなと。歩いてしまった時もみんなにありがとうって笑顔で手を振りながら一歩一歩前へ進みました。

そんな声援を貰って、なんとか頑張って35キロを通過。この5キロで26分もかかってしまって、当然沢山抜かれて1061番目まで落ちました。

さらにその後すぐ、大阪マラソンの最後の難関「南港大橋」にさしかかります。ボストンの「心臓破りの丘」の坂一つ分くらいなんやけど、今日の僕にはかなりの強敵。さすがに坂一つ分歩いて登るのはみっともないので、ゆっくりジョグでなんとか登ったけど、橋の下りでペースが上がるということも無くキロ5分を少し超えるペースで38キロ地点へ。

残り4キロになり少し気持ちが楽になったのかペースを上げてみようと最後の悪あがき。調子に乗って39キロまでの1キロを4分半で走ったけど、これで僕の今日のもち玉終了。後2キロはまた5分を超えるペースで走り、最後の1キロだけゴール前に力を振り絞って5分弱。

速報通り公式記録も3時間20分ちょうどのフィニッシュでした。そして総合順位は1001位。悪あがきの甲斐が有ったかな。

さらにゴール前に一塊になっていた集団から抜け出したお陰で、周りに誰もいない状態でゴール出来たので「くにおまんさん、フィニッシュでーっす」とDJにアナウンスされたのは最高の気分でした。これでなんとか僕の大阪マラソンは無事完走で終えることが出来ました。長かった・・・

不甲斐ない走りに反省することは沢山あったけど、それはカルガリーに帰ってから考えよう。今はいろんなところで応援してくれたみんなに感謝。今日出せる力を出し切って、思い切り楽しんで走れた大阪マラソンでした。走って良かった。

くにおまん、ただいま。

0 件のコメント:

コメントを投稿