2014年10月31日金曜日

次は東京へ、仙台へ

東京は学会で来た2009年以来5年ぶり。今夜は御茶の水。と言われても土地勘の無い僕は良く分からんかってんけど、上野のそばの賑やかな街。東京にはこんな街がそこら中に散らばってる。やっぱり大きな街や。

飲みにはカメラを持っていかなかったので写真はないけど、5年ぶりの同級生を筆頭に9年ぶりに会う後輩もいて、昔話に花が咲きました。わざわざ集まってくれたみんな、ありがとうございました。

残念やったのが2日前からの風邪気味が酷くなってきて、鼻水ズルズルやったし頭も痛かったのであんまりお酒を飲めなかったこと。5年前は深夜まで新宿西口の広場で遊んでたのに、今夜は9時過ぎにはお開きで宿に戻りました。(それでも夕方4時から飲んでたんやけどね。)

今晩の宿は、生まれて初めてのカプセルホテル。一度試してみたいと弟と話していたら薦めてくれたのが上野広小路にある某ホテル。
中はこんな感じ。これがデラックスカプセル。とりあえず寝るだけには十分なスペースやし寝具も凄く良い。お風呂は大浴場を使えるのでお風呂好きの僕にはそんなに悪くない選択肢やと思った。

とりあえず明日以降の体が心配なので、お風呂で体を暖かくしたら10時過ぎには布団に入って休みました。

翌朝起きてもまだ体のだるさが残っていたので、チェックアウトの時間ギリギリまでカプセルでゴロゴロしてた。そんで、気合いを入れて外に出たら生憎の雨模様。晴れてたら上野界隈を散策しようと思ってたのに。とりあえずはホテルから上野駅辺りまでブラブラ。

かの有名なアメ横を通り抜け、

あまちゃんロケ地なんかも見学して、
(アメ横女学園)

(わかるかな?)

上野駅に到着。今は東北新幹線も東京に乗り入れているけど、かつての東京の北の玄関。歴史を感じる建物です。

そんなこんなしていると本格的に雨が降ってきて、上野に来たということもあり思い立ったのが
行くぜ、東北。

JRパスを最大限活用するべく、牛タンを食べに仙台にランチ旅行してくることにしました。風邪気味の体を新幹線でゆっくり休められるし、未踏の東北の街、仙台を見学できる今や東北大好きの僕にとってはまたとないチャンス。

さっそくみどりの窓口で新幹線のダイヤを調べてもらい、夜の待ち合わせまでに帰ってこられる弾丸スケジュールで、いざ仙台へ。


やまびこ号に揺られ懐かしい東北の田園風景を眺めて2時間程走ると

仙台到着。

仙台の駅前は思っていた以上に栄えてました。大きなアーケードの商店街も賑やかで、海外ブランドのショップも沢山並んでいました。カルガリーは圧倒的に負けてます。

で、さっそく旅行案内所お薦めの牛タン専門店で遅い昼ご飯を頂いたんやけど、残念なことに今イチやった。このブログはネガティブレビューはしたくないので店名は伏せるけど、店に入った瞬間からの不安は最後まで払拭されず、イマイチ感最高で店を後にしました。

いや、正直味が悪かった訳じゃないんやけど、なんかぬるかった。牛タンって本場ではあんなに温めで食べるもんなん?それに呼応するかのように店員さんの対応やら何やらがぬるく感じた。やっぱり知らない街にいきなり飛び込んでいっていつも上手く行くもんじゃないね。

これはこの仙台旅行の唯一の残念で、後は街の雰囲気も大きさも僕は凄く気に入りました。思ってた程寒くなかったし、というか暑かった。もう少し時間があれば仙台城跡まで足を伸ばせたんやけど。今度是非美味しい牛タンを食べに帰ってきたいと思います。

2時間たっぷり歩き回って、ご褒美に
(クロワッサンたい焼)こんな面白いおやつまで頂きました。

初めての仙台を楽しんだ後は東京へトンボ帰り。今夜は東京で勤める阪大の後輩(阪大では被ってないんやけど)と六本木を楽しもうと。6時の待ち合わせから彼の紹介してくれるおしゃれな店を何軒かハシゴして、最後は僕の希望を聞いて探してくれていた美味しいもつ鍋屋さんへ。

以前心斎橋で連れて行ってもらったもつ鍋屋さんに匹敵するくらい美味しい鍋でした。日本酒で煮込んだダシが甘くて旨味が最高。両方美味しかったけど、最後のチャンポン麺はこっちの勝ちかな。

風邪気味やった体には最高の滋養食でした。待った甲斐がありました。
御馳走さまでした。

ところでハシゴしながら街の異変には気付いていたんやけど、今夜はなんとハロウィーンの夜。さすが六本木の街は(界隈を知る彼曰く)いつも以上の半端じゃない人ごみでした。

しかも、
こんなんが街中をウロウロしていました。

最後に行った彼の行きつけのバーでは新しい面白い出会いが在り、風邪が回復傾向にあった僕は調子に乗って飲み続け、結局空が白んできた7時近くまでお楽しみが続いてました。ちなみにそんな時間でも街には警察が交通整理をする程の人が溢れていました。六本木スゲェ。

(夜明け前の東京タワーが綺麗でした。)

7時過ぎになんとか後輩のアパートにたどり着き暫し仮眠。いつもならこんなに飲んだらしっかり寝たいところやけど、今日はそう言う訳に行かず。2時間程深い眠りに落ちた後、今度は一路湘南へ。

旅はまだまだ続く。

2014年10月29日水曜日

日本列島縦横無尽の旅 まずは名古屋へ

大阪マラソンからの回復も侭ならないうちに、日本滞在の仕上げは日本列島縦横無尽の旅。思い出のために、振り返りながらの絵日記です。

まずは阪大時代の後輩とお世話になった先生のいる名古屋へ、アーバンライナーに乗って。
アーバンライナーは初めて。と言うよりも名古屋に行くのも初めて。

後輩と名古屋大学のオフィスで久しぶりにゆっくりお互いの近況報告をした後、
(ちょっとぶれてるけど)こんな感じの昔ながらの大衆居酒屋、伏見の大甚に連れて行ってもらいました。創業は明治40年から続く由緒正しき居酒屋さんだそうな。ここで樽酒と一品料理のおかずを堪能したあとは、2軒目に花薗さんお薦めの日本酒バーTHE酒〇五二に連れて行ってもらいました。

そこでも、
美味しいお魚をつまみに、
さらにしっかり日本酒を楽しみました。この帰国中は日本酒を本当に沢山楽しめました。

夜もしっかり更けたころお二人に見送ってもらって名古屋で泊まるビジネスホテルへ。土地勘の無い僕は思いっきりキャバクラが立ち並ぶエリアに宿を取ってしまい、図らずも名古屋の夜の喧噪を味わってくることができました。夜の名古屋も元気でした。

翌朝は名古屋観光をする予定が、JRパスの引き換えのためにパスポートが必要となることが分かり、急遽新幹線で大阪へトンボ帰り。本町で勤める母さんに駅までパスポート持ってきてもらい、再び名古屋へ。ナイス連係プレー。助かりました。母さん、ありがとう。

再び名古屋というのは、名古屋で勤める久保田さんと久しぶりに会うため。5月にカルガリーで会っているので半年ぶりやけど、当然日本で会うのは初めて。

久保田さんとは昼食をご一緒して、
こんな豪華なひつまぶし定食を御馳走になりました。初めて食べましたが、とても贅沢な料理で大変美味しかったです。

日本で会う久保田さんもお元気そうで何よりです。御馳走さまでした。

その後少し時間があったので、名古屋城へ。

ただ思っていた程時間がなかったので、
お堀と
遠くから金のシャチホコを眺めただけで時間切れになりました。残念。また今度の機会に。

次は阪大時代の同級生と後輩に会うため東京へ。弾丸特急の旅は続く。

2014年10月27日月曜日

レース後

無事フィニッシュラインを超え、倒れ込みたくなるものの、レース後の高揚感でボランティアのみんなに手を振って「ありがとう!」って言いながら歩き続けました。そしてフィニッシャーメダルをかけて貰って改めて無事ゴールした喜びを噛み締めました。

書きながら振り返ってみてもしんどいレースでした。スタート時点での23度から、僕がフィニッシュした昼過ぎには地面の照り返しなどで30度近くまで上がっていたよう。30キロを過ぎた辺りから路肩ではバタバタと人が倒れていて応急処置を受けてました。そこまで潰れなくても立ち止まって足を伸ばす人、動けず途方に暮れている人が沢山いました。

みんな暑さには苦しめられていたみたい。でも、そんな中僕がなんとか潰れ切ってしまうこと無くフィニッシュ出来たのは、速報でも書いた通り、みんなに応援してもらっていたお陰やと思います。ああいう気持ちは今まで沢山のレースに出てきたなかでも初めてでした。

ところで、20キロ過ぎまで僕が追いかけていた青年にゴール後に会うことが出来て話をすると、彼は3時間16分でゴールしたそうな。もし僕が無理して追いかけてたらおそらく途中で潰れてしまってたやろうということを考えると、4分のロスで済んだことがとても良かったことに思えてきます。

フィニッシュの後は再びチャリティーランナーとしてのVIP待遇が待っていました。まずはスタート前に預けた荷物を受け取った後は専用のラウンジへ移動。エラい贅沢やなーって思っていると、以前書いた通りチャリティーランナーの代表の一人としてインタビューを受けました。まあ、何を話したのかはいつかインタビューが掲載されたらみてください。ただ一つ嬉しかったのが、選ばれた理由が「多くの人から寄付を募って参加したこと」だったこと。やっぱり皆さんのお陰でした。改めてありがとうございました。

インタビューの後写真まで撮ってもらって(ちなみに昨日の日記にアップしたレース後の写真はその時のもの)良い気分になって更衣室へ。そしたらなんと、更衣室の横には僕たち用に柔道整復師さんたちによるケアコーナーが設けられていました。チャリティーランナーとしてはかなり早い方でゴールしたみたいでラウンジには人が疎ら。なので待つことも無くさっそく足のアイシングからお願いしました。

アイシングを受けるためにベッドに横になってると、高揚感がスーッと引いていき、我に帰って今日あったことを色々思い出していました。そしたらなんだか涙が出てきて止まりませんでした。ドラえもんじゃ泣かんかったけど、今日は思い切りドラ泣きしてしまいました。レースの後泣くなんてことも初めてでした。去年のチャレンジでも泣かんかったのに。年々涙もろくなってきてるような気がする・・・

そしたら僕の担当をしてくれた整復師の中国人の朱さんが「嬉しくて泣いてるんですか?」って聞いてくれて、なんかその言葉の響きが映画の台詞のようにとても優しくて凄く素敵でした。その彼は本当に優しい人で、色々話しながら僕の足をゆっくり丁寧に解していってくれて、同時に気持ちもスッキリしていきました。
思い出に朱さんと一枚。

その後僕が更衣室から出て行くときに、他の人を施術中だった彼がわざわざ僕をみてニコッて会釈してくれました。日本で働く中国人と、日本に遊びにきた半分カナダ人の日本人の僕とでなんだか気持ちが通じ合った気がしました。

贅沢なケアを受けた後は栄養補給。
こんな感じでいろいろな料理が用意されていて、どれも美味しそうやったけど、まず僕が選んだのは

フルーツとトコロテン。フルーツの甘みと黒酢をかけたトコロテンのつるつるが最高に美味しかったです。その後おにぎりとたこ焼きみたいなやつをいくつか頂きました。

食事の後はゴール地点に下りていってランナーの応援。もしかしたら宮地さんを見つけられるかなーっと思って。

これが僕が少し前に駆け抜けたフィニッシュライン。あの感動が蘇ってきます。

少しコースを遡ってみると、ランナーがぞろぞろ。
ちょうどスタートから5時間ちょっとの人たちです。だから実質4時間半くらいのフィニッシュかな。みんなシンドそうやけど嬉しそう。ガンバレーって応援してきました。

しばらく応援した後ラウンジに戻って待っていると、宮地さんから電話がなりました。無事フィニッシュされたとのこと。

さっそく下りていってお迎えした時の会心の一枚がこれ!

心配していた暑さにも潰されず、マイペースを守って無事4時間51分で初マラソン完走!しかもニコニコ嬉しそうに満足そうに帰ってこられたことが、即席コーチとして色々お手伝いさせてもらった僕としても凄く嬉しかったです。

記念に2人でパチリ。

その後2人で鶴橋のスーパー銭湯へ行き汗にまみれた体をさっぱり綺麗に洗い、さらに小路に移動して家の弟お薦めの焼き肉屋さん松蘭で打ち上げ。

そこには僕が日本での学生時代から、それこそ20年近く前からお世話になっている美容師さんの福田さんも合流されました。今では想像もできない、髪が長くてパーマまであててた頃の僕を知る数少ない一人。というか福田さんにあててもらってたんやけど。

カナダでの良き先輩の宮地さんと、20年来の知人である福田さんと、大阪マラソンの打ち上げを一緒にできるなんて不思議な縁ですね。いろんな思いに浸りながらも、何にしても疲れ切ったみんなでお肉をたらふく食べてきました。ガォー!!

満腹になって幸せな3人で記念にパチリ。

怪我をおして無事完走の福田さんと、初マラソン完走の宮地さんとの新コンビ「フィフティーズ(仮)」結成。今度は福田さんにカナダへ来てもらうことにしよう。お待ちしています。

これで今回の僕の日本滞在の二大メインイベントが無事終了しました。(一つ目は母さんとの東北旅行でした。)

後は、名古屋、東京、九州と日本を巡る旅へ行ってきます。

残り2週間の滞在思い切り満喫したいと思います。そうそう、この2週間は少し気を緩めて沢山美味しい日本を味わってきます。

大阪マラソン

いよいよこの瞬間がやってきました。大阪マラソンスタートのAブロックに並んでスタートを待ちます。

大きな大会のためスタート20分前には整列を閉め切り、ブロック毎の間隔を詰めます。僕はちょうどAブロックの真ん中辺り。スタート直後は大混雑になること間違い無し。でもまあ、これはどこでも一緒やろう。

15分程前に開会のアナウンスが始まり、周りの興奮は少しずつ高まってきている様子。進行役が、僕が小さい頃から聞いていたFM80.2のDJやったので、大阪のイベントに出ている感がさらに増しました。ヒロTじゃなかったのはちょっと残念・・・

衝撃やったのが、開会のアナウンスで現時点での気温が23度だと、そしてさらに暑くなる予報だと聞いたこと。確かに過ごしやすい気温やとは思っていたけど、既にそんなに上がってるなんて。日中の最高気温でそれくらいだろうと思っていたので大誤算。

この時点で今日のサブ3はおろか、3時間2分さえも無理であろうことはハッキリしたので、出来るだけダメージが小さくなるよう戦略の立て直し。特に前半は思い切りペースを落として走る覚悟を決めました。

8時55分に車いす部門がスタートして、次はいよいよ僕たちの番。カウントダウンの後9時ぴったりに号砲が鳴ってスタート。42キロの長い過酷な旅の始まりです。

僕のいた所からスタートまでは40秒程。みんな我先にと前を行くので、どうぞどうぞと先を譲りとりあえず気持ちを落ち着かせることに集中。1506番目にスタートラインを通過したそうです。

スタート直後中央大通りに出てからは長い下りがあるので、みんなそこは猛烈な勢いで駆け下りていっていました。ジグザグに縫うように前に行く人を見送って、初めの1キロは4分50秒。これは最初の混雑を考えたら許容範囲。坂を下りきって少しスペースのできた次の1キロは4分24秒。今日はこれくらいのペースで行けるかな、と思っていたペース。

ただ毎度のことながらスタートちょっと前からモヨオしてきたのがこの辺りで本格化してきて、今まで2度のマラソン同様スタート直後のトイレストップ。これはなんとかならんもんかな。

でもまあ、我慢して走ってもしんどいだけなので、トイレの案内を見つけてコースアウト。誤算やったのが、コースから仮設トイレまで結構距離があって全部で1分ちょっとロスしてしまったこと。これもまあ文句は言われへん。これも含めてマラソンやから。

気を取り直して再スタートして、キロ4分20秒前後のペースで走り続けて最初の5キロを23分25秒で通過。ちなみにこれはサブ3を目指すペースからは2分以上遅れてる。まあ既にサブ3は考えてなかったけど。ちなみに5キロ地点は1569番目に通過。

次の5キロは大阪マラソンの目玉、御堂筋逆走を含む区間で応援も凄かった。しかも職場が近い母さんの応援を見つけられてハイタッチ出来たのは嬉しかった。相変わらず周りにたくさんの人が走ってたけど、大体同じようなペースで走る人でそろってきたので随分走りやすくなってきた。しかもスタートからこの辺りまではビルの谷間の陰を走っていたので気温の割に比較的体は楽やったと思う。

天満の辺りから大学の陸上部らしき青年が良いペースで走っていたので、彼に合わせて走れるようにロックオン。所々風が強く吹いていた辺りは出来るだけ人の後ろを走って体力セーブ。こういった細かい意識が今日のレースは非常に大切やったと思う。

この5キロは21分47秒。最後までこれくらいで走れたら良いんやけどなーって淡い期待もこの頃はありました。10キロ地点は1317番目に通過。ちょっと前に出たかな。

10キロから15キロの区間も例の青年にくっ付いて走ってペースをキープ。区間タイムは21分32秒で、今日のベスト。ただこれが今日のピークやった・・・

続く15キロから20キロもなんとか彼に付いていってはいたんやけど、だんだん日向を走る時間が長くなりシンドさが増してきてた。この5キロは22分6秒。30秒も落ちた。20キロを過ぎた辺りから彼の背中がどんどん遠くなっていった。

しんどかったけど沿道の応援がもの凄くて、なんとか気持ちを切らさずに走れてた。御堂筋と千日前通りの交差点で四方から応援を受けて圧巻。ちなみにこの辺りで、今日来れなかったはずの岩渕さんに応援されている声を聞いた気がするんやけど、多分言霊が声援を運んでくれたんかな。嬉しかったです。

そのあとハーフの通過で1時間35分。この後ペースを上げてネガティブスプリットなんて芸当は今日は出来なさそうなので、3時間10分もちょっと厳しくなってきた。だんだん気持ちが弱くなってきてた。今までの2度のマラソンではこんな弱気は残り5キロ位まで出てこなかったけど、これがマラソンの怖さなんやろう。

沿道の声援が背中を押してくれて、それに約束通りニコニコ走るという気持ちがなんとか弱気な自分を奮い立たせて走り続けました。でも、20キロから25キロまでの5キロが22分50秒。ズルズル落ちてる。マラソンは甘くない。

ただ後から分かったのは、15キロ地点で1251番目、20キロ地点で1197番目、25キロ地点で1142番目と全体的には追い上げ基調だったこと。確かに周りのペースは随分落ちてたし、今思い出せば抜かれるより抜いていく方が多かったような気がする。

そして25キロから30キロ区間。ダラダラまっすぐな道が続いて、声援もそれまでのようなボリュームはなく、日陰も無い。暑い。ただそんな中でも応援に来てくれていた大切な人の気持ちがなんとかかんとか前に進む力になったと思う。

そして魔の30キロ通過を1017番で通過。まだ上がってる。でも実際はここからが一番キツかった。

よく30キロ通過でエネルギー切れ、俗にいう30キロの壁とか言うけど、僕の場合エネルギー切れというのでなく、32キロの時点で右足太ももの裏が攣った。これはマラソンでは初めての経験。かなり焦った。こんな所でリタイアする訳にはいかんと。

止まっちゃったり攣った筋肉を無理に伸ばしたりしようとすると戻れなくなるので、とりあえず30秒程歩いて気持ちを落ち着けて、攣りがひどくなったり痙攣しない状態なのを確認してからゆっくりジョグで復帰。

今思い返してもこれはなかなか冷静な判断が出来たと思う。これまでの経験の賜物か。でも、これをきっかけに試練はここから何度も訪れました。

どんどんどんどん気持ちが凹んでて、給水所以外でも何度か歩いたし、「マラソンってこんなにしんどかったっけ?」って今更何を言ってんねんという自問を繰り返し、ちょっとマラソンを軽くみてた自分を責めました。

ただ、そんな一番キツかったこの辺りで、実は僕は「今日のこの大阪マラソンに出て良かった」って心の底から思ってました。しんどいときに沿道からの暖かい「がんばれー」の声、給水所のおばちゃんが「くにおちゃーん、頑張ってー」って親戚のおばちゃんみたいに言ってくれる声援、それに幼稚園児の大集団に「くにおまーん、がんばれー!」って叫んでもらった時は戦隊ヒーローのお兄さんにでもなった気持ちで力を貰いました。

自分の勝手な期待や理想と比べて凹んでる僕も、もしかしたら応援に駆けつけてくださった沿道のみんなからはめっちゃ頑張ってるヒーローなんかなと。歩いてしまった時もみんなにありがとうって笑顔で手を振りながら一歩一歩前へ進みました。

そんな声援を貰って、なんとか頑張って35キロを通過。この5キロで26分もかかってしまって、当然沢山抜かれて1061番目まで落ちました。

さらにその後すぐ、大阪マラソンの最後の難関「南港大橋」にさしかかります。ボストンの「心臓破りの丘」の坂一つ分くらいなんやけど、今日の僕にはかなりの強敵。さすがに坂一つ分歩いて登るのはみっともないので、ゆっくりジョグでなんとか登ったけど、橋の下りでペースが上がるということも無くキロ5分を少し超えるペースで38キロ地点へ。

残り4キロになり少し気持ちが楽になったのかペースを上げてみようと最後の悪あがき。調子に乗って39キロまでの1キロを4分半で走ったけど、これで僕の今日のもち玉終了。後2キロはまた5分を超えるペースで走り、最後の1キロだけゴール前に力を振り絞って5分弱。

速報通り公式記録も3時間20分ちょうどのフィニッシュでした。そして総合順位は1001位。悪あがきの甲斐が有ったかな。

さらにゴール前に一塊になっていた集団から抜け出したお陰で、周りに誰もいない状態でゴール出来たので「くにおまんさん、フィニッシュでーっす」とDJにアナウンスされたのは最高の気分でした。これでなんとか僕の大阪マラソンは無事完走で終えることが出来ました。長かった・・・

不甲斐ない走りに反省することは沢山あったけど、それはカルガリーに帰ってから考えよう。今はいろんなところで応援してくれたみんなに感謝。今日出せる力を出し切って、思い切り楽しんで走れた大阪マラソンでした。走って良かった。

くにおまん、ただいま。

大阪マラソン スタート直前

昨晩はレースの速報の投稿をした後、ビールを1本飲んで布団に入ったら一瞬で寝落ちてしまったようです。よく寝られました。両足がもの凄い怠い意外は痛い所も何も無いです。ただこの怠さは強烈で、実家の狭い階段を上り下りするのが辛いです。

ところで、岩渕さんにもリクエストを頂いた、昨日の報告を写真付きでお届けしたいと思います。

まず起きたのが5時で、朝食を食べ、その他諸々レース前の一連の準備をした後、家を6時半に出ました。9時スタートやけど、8時40分には自分のブロックへの入場が出来なくなって最後尾スタートになるので、出来るだけ早めの移動。

7時過ぎに森ノ宮駅に到着。そこから大阪城公園へ入っていくと、
 すでに凄い人だかり。何かのお祭りのよう。

ただスタートブロックへ行くにはまだ早いようで、
この辺りはまだ人もまばら。

僕達チャリティーランナーにはスタートブロック間近に特別の更衣準備場所が用意されていて、
この「西の丸庭園」という普段有料の庭園に入れてもらうことが出来ました。

入ってすぐに大阪城がドドーンと。
ここを庭園にした理由が良く分かる見事な眺めでした。

こんな並木もそろそろ綺麗な紅葉で染まるんやろうな。

少し歩いていくと、それぞれのチャリティー団体がランナーを出迎え応援に駆けつけてくれていました。

スタート前に記念に一枚。

僕は着替えの必要がなかったので入らなかったけど、こんな立派な建物が更衣スペースでした。
今思えば入ってみれば良かったな・・・

いつも通りの準備を済ませて、軽くウォームアップ。
それもこんな立派な芝生の広場を独占。身に余る贅沢をさせてもらいました。

大阪城もやっぱりででーん!

ウォームアップで体を起こした後、しっかりトイレも済まし、荷物を預けて、くにおまん行ってきます。

2014年10月26日日曜日

速報

大阪マラソン無事完走しました。

公式記録の見方が分からないのですが、自分の時計では3時間20分ちょうど。

めちゃくちゃ厳しいレースでした。暑さのせいばかりではないですが、今日はスタートの時点での気温が23度。この時に今日の3時間2分とか自己記録は諦めて走り始めましたが、それでも出来れば初マラソンのミシサガでの3時間8分位はいけるかなとか思っていました。

ただ終わってみると正直3時間20分で走りきれたことさえ嬉しく思うくらい厳しいレースでした。何度も歩いたし、そのまま歩いてゴールすることさえ頭に過るくらいタフでした。でも、今回のマラソンは、チャリティーやいろんな繫がりでみんなが応援してくれているという気持ちで完走出来ました。だから今日は自分の実力以上の力が出せたと思います。

記録は不甲斐ないものでしたが、本当に楽しいイベントでした。大満足の大阪マラソンでした。

本当に有り難うございました。

2014年10月25日土曜日

大阪マラソン前日 ドラえもん

今日はレース前日。と言っても昨日ナンバーピックアップも済ませているし、特にすることは無い。強いて言えば出来るだけ疲れることをしないことくらい。

という訳で、昼は近所に住む親戚に食事に連れて行ってもらい、西武の千房でお好み焼きを御馳走になりました。しかも弟も一緒に。御馳走さまでした。

ちなみに5年ぶりに会う従妹の女の子が立派なママになっていて、時の流れをしみじみ感じました。それに比べて僕と弟の2人は・・・

食事の後は、弟と2人で久しぶりに映画に行こうと話していたので、近所の映画館で「Stand by Me ドラえもん」を観てきました。弟とは小ちゃかった頃よくドラえもんとか夏休みの映画はよく観に行ったけど、この歳になってまでドラえもんを観に行くとは思わんかった。

正直期待していたような、ドラ泣きする程感動するような映画じゃなかったけど、丁寧に作り込まれた3Dの映像はなかなか見応えがありました。特に初めて見る3D映像は本当に飛び出てきてビックリした。

ただ最後まで唯一馴染めなかったのがドラえもんの声。他のキャラクターはともかくドラえもんは大山のぶ代さんの声の記憶が強すぎる。これはどうしようもないね。

映画の後は夕飯の準備でスーパーへよって、それから夕方には30分だけ近所を走って体を解し、その後ゆっくりお風呂。気持ちよかった。レースに向けての体の準備はバッチリです。

いつもはレース前は大概簡単なパスタで済ますけど、今日は母さんにお願いして鶏と豚の煮込みうどん。それと親戚の叔母さんが持って来てくれたおでんを少々。

8時前には夕飯を済ませて、今のんびりこれを書いています。もう30分もしたら布団に入ってゴロゴロ休みます。明日の準備はほぼ万全。

明日はチャリティーランナー特別にニックネーム付きのナンバーで走ります。

半年前の決心からよく怪我もせず頑張ってきました。とりあえず一番目の目標はチャレンジの時のようにニコニコ笑顔を振りまいて走ること。そして思い切り楽しんで走って、存分に力が発揮出来れば目標タイムは3時間2分。どうなることやら?乞うご期待!

行ってきます。

2014年10月24日金曜日

大阪マラソン2日前 エキスポ

今日はいよいよ京都の下宿退去の日。意外と増えていた荷物がスーツケースに入りきるか焦ったけど、なんとか詰め込んで無事に京都を後にすることが出来ました。ホッ。

そして午後は大阪マラソンのナンバーピックアップのため南港のインテックス大阪まで行ってきました。カルガリーから参戦の宮地さんとも今日ようやく合流できました。

エキスポの入り口。チャリティーのテーマを表すなないろレインボーのゲートが待ってます。

少し中に進んでいくと受付入り口。僕は応援して頂いた皆さんのお陰で無事チャリティーランナーとしての登録なのでこちら。一瞬で終わった。

こちらは一般のランナーの受付。金曜の昼間ということもあり凄く空いてたけど、明日土曜日はここがイッパイになるんやろう。

受付を終えるとこんな横断幕が。みんなの応援を背中に感じます。

その後はレースエキスポに入っていくんやけど、さっそく迎えてくれたのが、
ポンデライオン。ダスキンもスポンサーなのでここぞとばかりにキャンペーン。おそらく元祖ゆるキャラやろう。可愛かった。ちなみに左に移っているのがカルガリーのお友達の宮地さんです。

その後続くメインスポンサーのミズノやその他のスポンサーのブースは人がいっぱい。
金曜でこれやったら明日はエラいことになってるやろう。

ふらふら歩いていると、何と丁度今からかの有森裕子さんの応援トークが始まりますという告知が。

「初めて自分で自分を褒めたいと思う」というアトランタオリンピックでのゴール後のコメントの感動というか衝撃は未だにはっきり覚えています。
思っていた以上に明るく良く話す素敵な人でした。自分のマラソンの直前に彼女のお話を聞けるなんて凄くラッキーでした。

エキスポの最後はチャリティーコーナーで、僕がこの大阪マラソンのチャリティーランナーとしてサポートしている「がんサポートコミュニティー」のブースへご挨拶。
せっかくなので皆さんと記念に一枚。

みなさんに「ありがとうございます」、「頑張ってくださいね」と応援して頂き、さらに気合いが高まってきました。当日もコースで応援してくださるそうです。頑張ります!

一通りエキスポを見て回り、さすがに2人とも人ごみに疲れたので5時半頃エキスポを後に。ちなみに今までの3度のマラソンレースのエキスポでは一番大きくて盛り上がっていたエキスポでした。さすが大阪、お祭り好きなんかな。ちなみに宮地さんは沢山お買い物を楽しまれていました。

その後難波ですこし早めの夕飯。以前から行ってみたかった御堂筋にあるカレー屋さん
カツカレー。しかも今日は大盛りで。

最近はカーボロードとかはあまり意識しなくなったけど、普段あまり食べなくなったご飯ものはちょっと意識して食べてます。で、出て来たのがこの量で食べきれるか心配やったけど、めっちゃ美味くてどんどん進んで結局ペロリと食べてしまいました。宮地さんも満足されていたようで良かった。

レース2日前も無事過ぎていきました。明日はいよいよレース前日。弟とドラえもんを観てきます。