2011年5月9日月曜日

Boston Marathon 2011 (後編)

バスに乗り込んですぐにウトウトし始める。隣に座ったランナーと少し話をするが、リラックスしておきたいので適当に済ませて目をつむる。40分ほどでホプキントンの街に到着。選手村になっている学校の校庭内で適当に場所を見つけて腰を下ろす。この陣地取りではやっぱり早めのバスに乗れたことが幸いしたみたいだった。あとから続々くるランナーは寒い日陰や人通りの多い少しの隙間に小さくなって座っていた。

8時頃に練習と同様にスタート2時間前の補給をする。いつも通りプレーンのベーグルにチョコミルク。やっぱりこれが一番おなかにしっくり来る。寒さ対策で持ってきていた雨具を足に巻いて足を冷やさないように努める。今度来ることがあればもう少し厚手のボトムを持ってきた方が良いかもしれない。ここでもリラックスに努めて、持ってきたiPodで冬の間のロングランで聞いていた音楽を聴いてイメージトレーニング。9時頃にはスタート地点への移動の準備のため着替えを始める。やっぱりレースウェアだとかなり寒い。足に巻いていた雨具を羽織って何とかしのぐ。サポートに持ってきた服などを指定の袋につめてドロップエリアのバスに預けてからいよいよスタートラインへ。途中最後のトイレをすませる。今日はすこぶるおなかの調子がいいようだ。

スタートラインへ着き指定のコラルへ入る。もう後戻りは出来ない。とりあえずボストンへ向かって(文字通り)一直線に走るだけ。不安は驚くほどに無かった。不安や心配をするまでもなく3時間は十分苦しい思いをすることが確実なんだから、その中で自分がどれだけ頑張れるのか楽しみの部分の方が大きかったと思う。

予定通りレースは10時にスタート。噂に聞いていた空軍のジェット機が飛んでくるとか言うようなことは無かった。2分弱でスタートラインを通過。僕のレースが始まる。スタート直後から想像以上の勾配の下りが続く。しばらくするとエリックが後ろから飛ぶように駆け抜けて行くのが見えた(大丈夫か?)。この下りは10キロは続くというランナー潰しのボストンの最初の(隠れた)難関だそうだ。確かに前半のセーブが比較的得意の僕でも思わずペースがあがる。ガーミンのアラートもしょっちゅうなってくれる。これは難儀なレースになりそうだ。

スタート前の寒さの中でも最低限の水分補給をしていたけど、その分スタートしてからしばらくして尿意をモヨオしてくる。どうしようか迷ったけど、多分我慢したところでどこかに消えてくれるものでもないし、まだ下りでリズムの安定していない今済ましてしまう方が良いだろうと5キロ過ぎのトイレに駆け込んだ。(思い出せばミシサガでもこの辺りにトイレに行ったような気がする。)

10キロ過ぎには始めのような下りは無くなりリズムも安定してくる。ただこの辺りから暑さの影響が顕著になってくる。どれくらいの気温だっただろうか?十数度だと思うけど、普段のトレーニングの気温よりそれこそ数十度高い訳だから当然体は異常を感じている。すごく汗をかき喉も乾く。ハーフの通過は予定より1分遅い1時間31分。3時間を狙うにはここからペースを上げないといけない訳だけど、とりあえず30キロまでは出来れば現状維持が精一杯だろうと腹をくくる。結果的に20キロから30キロまでは幾つかの登りの区間を除いてペースを保って走ることができた。

30キロ過ぎだっただろうか、ユイさんをパスする。この冬はあまりトレーニングが出来なかったそうだけどまさかボストンでパスすることは想像をしていなかった。この時点ではまだ僕の方が余裕を持って走れていたようにみえた。ただ残り10キロの時点で僕の時計は2時間20分を回っている。3時間を切りたければ残りの10キロを40分で走らないといけない。いくら何でも無茶なペースで、数キロも保つかどうか分からない。分かっていたこととは言え、ここからは出来るだけ傷を広げないように、無茶をしないように、歩かずに確実に走ってゴールが出来るようにと意識を集中して走り続ける。ただこの意識が逆に体をセーブモードにしてしまったようで、結果的にペースを落とす方に働いてしまった。ガーミンの記録を見てもペースの乱れがはっきりと見て取れる。

残り数キロというところで追い上げてきたユイさんに背中をたたかれて励まされる。この時点ではかなり気持ちが落ち込んでいたように思う。3時間切りを目指してスタートして、分かっていたはずだったけど下りや暑さに思っていた以上のダメージをうけ、何とかゴールにたどり着ければという情けない気持ちになりながら走っていた時だったと思う。頭の中で「3時間切りが簡単だなんて誰がいった?マラソンが簡単だなんて誰がいった?」と自分を叱咤しながら。そんなとき去年の冬に共にトレーニングに励んだ仲間が折れかかった気持ちを立ち直らせてくれたように思う。彼も十分しんどくて辛いはずなのに、背中で僕を引っ張ってくれているように見えた。ギリギリだったのか僕を待ってリードしてくれていたのかは分からない。でも彼の背中を追いかけて、彼をこれ以上遅らせないためにと必死になって着いて行った。あそこでユイさんが現れなかったら最後の数キロがどんなに辛かっただろうかと思う。

フェンウェイ沿いの陸橋をフラフラになりながら通り越して、ダウンタウンに入って行く。すごい人だった。ボイルストン通りに向かう短い登りでユイさんが少し離れてしまいそうになる。このままずるずる引き下がりたくないので得意の登りを思い出して最後の左折に向かいながらユイさんを追い抜く。ゴールまであとどれくらいなのか分からない僕はスプリントのようなペースになっていたように思う。それを見たユイさんは去年のトラックで練習していた時を思い出したのか後ろから「Go Kunio! Go!」と叫んでくれている。ただよく見るとゴールまで800メートル近くある。これはいくら何でもスプリントは出来ない。最悪こんなところでリタイアさえしてしまいかねない。呼吸を整えて沿道の声援を噛み締めるようにして最終ストレートを走りぬけた。(途中ゴールまで数百メートルというところで仰向けにひっくり返ってこけたランナーがいた・・・)3時間5分ちょっと。初めてのボストンマラソンを完走した。

2011年5月5日木曜日

Boston Marathon 2011 (前編)

Boston Marahonからはや3週間が経とうとしている。レースから少し時間を経て、いろいろな思いを消化してからレースレポートを書こうと思っているとなんだか記憶が怪しくなっているような気がする。せっかくの経験なんだからある程度正確に思い出せるうちにいくらかは書いておこうと思う。そういえば去年のボストン・クゥオリファイレースとなったミシサガマラソンはレポートを書かずじまいになってしまったし。

レースウィークは所用でトロントへ三日間ほどの短期出張をすることになり、いつも以上にバタバタするはめになった。ただこちらも重要な仕事を仕上げることになり精神的にはかなり高揚した状態でレースに向かえることになる。さらにトロントでも少しハイペースのロングインターバルを数本こなして、そこそこ標高差のあるカルガリーからボストンへの移動のシミュレーションにもなった。カルガリーへ戻ってからはマッサージを受け、予定通りの練習(ジョグとストライドを中心に)をしてリラックスに努める。

ボストンへは土曜日に移動する。その夜はブレアの兄のマットの家でパスタディナーでもてなしてもらう。しっかりカーボロードさせてもらう。日曜日は奥さんとブレアたちの5キロレースを観戦する。その後プロの1マイルレースもおまけに観戦。闘志を注入してもらう。昼はしっかりメキシカン?のサンドイッチを食べて、あとはゆっくりホテルで寛ぐ。夕方軽くジョグで体をほぐしてからタイ料理のパドタイで最後の食事。去年レースに出まくったおかげでレース前日の行動は一通りパターン化できているような気がする。レースが10時スタートと通常のレースよりかなり遅いスタートになるため朝食もきちんと摂らないといけない。タイ料理屋さんで一番あっさり目の焼き飯と近所のスーパーでベーグル及びチョコレートミルクを買っておく。ここら辺もある程度経験から予測できるようになる。結果的には翌日の体調(おなかの調子も含めて)は最高の状態でレースに挑めることになった。

レース当日は4時50分起床。10時スタートにしては異常に早い起床だけど、ここボストンの朝のロジスティクスを考えるとこれくらいでちょうどになる。とりあえず昨日買い込んだ朝食用の焼き飯を半分たべて、ベーグルとチョコレートミルクをゆっくりおなかに入れる。スタートまでかなり時間があるのでトイレの心配は普段ほどはしなくてもいいけど、逆に十分カロリーを摂っておかないと空腹でスタートを迎えてしまうことになる。予定の分量を食べた後は昨晩しておいた身支度の確認と移動用の服へ着替えをすます。6時頃に予定通りホテルを出発し、スタート地点までの集団移動用のバス乗り場までアップがてらに歩いて移動。7時間後ぐらいにフラフラで通過予定のフィニッシュラインも余裕で通過。

6時半くらいにバス乗り場へ到着。既にかなりの行列ができている。(結果的にはこの時点の行列はほんの序の口であったのだけど・・・)誰を応援しているのか送り出されて行くバスをものすごい絶叫で応援している女の子がいる。朝から随分元気だ。20分ぐらい行列に並んでようやくバスに乗り込む。奥さんもバス乗り場まで見送りに来てくれている。手を振って行ってきますの合図をする。先ほどの女の子が僕らの車列にも大絶叫で応援してくれていた。ありがとうと言いながらボストンを後にする。